あいらぶヒグマ(羆)ちゃん♪ ヽ(^▽^*) なぜ人里へ降りる熊が増えたのだろう? | |||||
昨今 なぜ人里へ( ※時には明らかに住宅街にまで )降りるクマが増えてきてしまったのでしょうか? その理由には諸説あるようです。 以下にその代表的なものを並べてみることにするよ。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ @ どんぐり不足説 A 里山荒廃説 B 人慣れ説 C 棲息過密説 D 開発行為説 E 町慣れ、迷いこんだ説 F 認知症説 G 本能としての行動説 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 上記した幾つかは皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。 でも各説の内容を充分に理解しているだろうか? っというわけで、ここからは各説を丹念にとりあげる形で考察を進めてみることにしよう☆ 人里出没理由その@ 「 どんぐり不足説 」 これは「 どんぐり(堅果類) 」の成果が悪く不凶である為にクマの食べる物が不足してしまい、結果として腹ペコな熊ちゃん達が食べ物を求めて人里へ侵出するという理屈の説。 どんぐりというのはブナ科( クヌギ・カシ・ナラ・カシワ・栗 )などの堅果実の総称なのでこれらが不凶だと熊は腹ペコということだよ。 画像著作権:Gleam 画像著作権:Fir0002 近年、ツキノワグマが頻繁に人里へと出没していた年と時期を合わせて「 どんぐり不凶 」が起こっていたことは事実良く知られているそうです。 とはいえ元々このブナ科の樹木の成果状況は、「 豊年の年 」と「 凶作の年 」が交互に繰り返しやってくるものだとも言われているのね。 昔から「 どんぐり豊年の年 」と「 どんぐり凶作の年 」が波状にやってきていたのに、最近の出没理由を急に「 どんぐり不足のせいだ 」と結論づけるのはちょっと無理もあるようにも感じちゃうところ・・・。 それならずっと前から どんぐり豊凶の波に併せて熊による人里出没記録も波状に増減を繰り返していなければ説明がつかないはずだ。 この点を考慮すると、確かに「 どんぐり 」はヒグマちゃんに限ることなく山で暮す多くの生き物( ネズミや鳥、その他もろもろ )にとっては食糧として大きく活躍することは事実だが あまり短絡的に熊出没の主たる原因がこれだけだと決めつけてしまうのは考えものではないでしょうか・・・。 皆さんはどう考えますか? 人里出没理由そのA 「 里山荒廃説 」 「 どんぐり不作説 」と並んで有名な説がこれ「 里山荒廃説 」です。 林業や農業の衰退によって 離農し放置されてしまった森や畑が野生化してしまう といった里山の荒廃が大きな原因であるというタイプのことね。 果樹園や畑の存在が森に棲息する熊ちゃん達と人間の暮す人里との間の緩衝域として機能する。 確かにこれには納得するところがあるよね d(´・ω・`)b 熊ちゃんは非常に用心深い動物だそうで、身を隠すことが出来る背丈の高い下草が茂る場所をたどるようにして移動することが多いそうだ。 営農中である果樹園や畑にあっては、下草に該当するものは奇麗に刈り込み処理を施されるか、もしくは下草の存在そのものを抑え込んでしまうように手をかけられている。 熊がその身を隠すことが出来るような茂みがなければ、おいそれと民家そばまで近付くことは出来なくなる。
人里出没理由そのB 「 人慣れ説 」 熊ちゃんは基本的には森に居るのだが、時折は人里近辺の畑などへもお食事へやってくる。 畑はそもそも人の手が入っている場所であり人間の痕跡を色濃く残す部分が強い。 森だって人はさまざまな理由で分け入っている。 これらの現実から熊ちゃん生活の中で「 人 」の存在を意識することをゼロとして生きることは難しいのではないかと感じます。 以前、熊猟が今よりも盛んに行われていた時期がある。 この時分は熊は今よりももっと人間を恐れていた節があるよ。 どんな野生動物だって自分達の命を絶つようなハンティング能力をもった動物からは逃げるものだろう。 熊にとってそんな能力を持っていたのは「 人 」なのだから至極当たり前の反応だと思われる。 かわって現代なんですが、「 熊撃ち 」を生業にしているような人間っているのだろうか? σ(・ω・ ) はて? 少なくとも僕は今までレジャーで狩猟をおこなっている人とは出会ったことがありますが、熊撃ちが本業という方に出会ったことはありません。 鹿撃ちの人材すら減少の一途だときく現代です。 熊を鉄砲で撃つ方の数も減じているというのが容易に推察されるよね (´・ω・`)b つまり熊ちゃんにとっては、人間が居るってことは理解しているが「 怖い人間 」が居るという感覚は薄れてゆくってことだ。 自分にとって脅威にならない人間にしか出遭わなくなる。 イコールそれはもう「 天敵ではない 」「 恐れるに足らない 」の結論に至るってことだ。 こんな形で熊が少しづつ人に遭遇することに慣れてきてしまう。 また、この他にも登山客が放置していった食材を荒らした結果として、人の臭いのついた物を食べてしまった熊が「 人の臭い 」イコール「 美味しい物がある 」と学習してしまうといったケースも人慣れの一例です。 似たようなシチュエーションと言えるかもしれない事象では、エゾ鹿猟を行ったハンターが枝肉だけをその場でさばき持ち帰り、余す内臓や体幹部分らを狩り場へ置き去りにすることがあるのですが、これだって倒した鹿には人間の臭いというものが付着してしまいます。 その残骸的エゾ鹿をみつけ食したヒグマの学習は「 人の臭い 」イコール「 美味しい物がある 」となってしまう。 これだって立派な人慣れ熊が発生する要因となりうる理由になってしまう。 そんな色々な理由によって 「 人の存在は知っているけれど恐れるに足らない 」 場合によっては却って人に近付こうとさえしてしまう。 つまりこれが人慣れです d(´・ω・`)b 住宅街は人が暮す場所。 そこは当然ながらたくさんの人が暮しています。 でも恐れるに足らない生き物がいくら沢山暮していようとも、それが日ごろから慣れた臭いが集まる場所であれば、それはやはり恐れるに足らない地域でしかないことでしょう。 ゆえに昨今の熊ちゃんは住宅街へも平気で進出してきている。 ん〜 ( ・ω・) これまたどこか納得してしまう理由に思えるよね。 キミ達はどう思った? 人里出没理由そのC 「 棲息過密説 」 熊は森に住んでいる。 正確には「 熊たち 」は森に住んでいるだ。 つまり複数居るんです d(´・ω・`) 次にこれを考えて欲しい ↓ 環境保護やら二酸化炭素抑制のためだの言っては「 森林を守ろう 」との声がよく耳に入ってくる時分です。 北海道地域の森林だけが拡大の一途を辿っているなんてことはちょっとありえないと思えます。 つまり「 森の広さはある程度定まっている 」ってことね。 ここで問題になるのが先に「 複数いる 」と表現した熊たちの個体数。 ずっと一定の個体数しかいないのであればさしたる問題もおこらない。 でも もしも熊達の棲息個体数が増加しているとしたらどうだろう? 先の項目でもチラッと触れましたが、人が熊をハンティングする能力は人材の面や職業の面を考えても低下してきていると思われる。 今のエゾヒグマ世界には天敵の存在が乏しくなってきたということだ。 つまり短絡的に考えればヒグマの棲息数は殺されづらくなった分だけを考慮しても殖え易い状況に傾いたということがわかります。 住む場所の広さは変わらず同じ、でも住む個体数だけが増大してゆく・・・。 この場合、とるべき道は2つだろう。 @@@@@@@@@@ その@: 互いに熊同士が棲息地域を分かちあい、1個体の占める棲息域の縮小化で活路を見出す。 そのA: 互いに熊同士が棲息地域を奪い合い、戦いに負けたものが森という棲息地域を追われる。 @@@@@@@@@@ 争いを避けるという点では その@ をヒグマちゃん達が選ぶような気もしないではないが、そこはやはり自然界。 棲息エリアを狭められるということは、それはつまり餌場の縮小化へと直結してしまうことなのでどうしても譲れないことになるはずだ。 餌の質と量の確保&充足は動物としての根源である「 生きる 」に直結する大問題だもの。 ヒグマほど「 食 」に対する拘りをもつ動物がおいそれと棲息エリアの縮小化におおじるとは思えません。 っというわけで その@ の道は無しね。 次に登場する そのA。 クマちゃん同士で戦って、勝った者が充分な棲息エリアを確保できるの法則☆ やっぱこれだな ( ・ω・)b これしかねぇ〜べ♪ で、この戦いに負けたクマちゃんは森の外へと押しやられることになるぞ。 まぁ いきなり住宅街に住みつくなんてことはないにしろ、森と住宅街の境界あたりまで押しやられてきていると考えるのは想像に難くないはずだ。 これが「 棲息過密説 」によるクマの人里出没の理由だよ。 どうだい? ちゃんとイメージは出来たかな? 人里出没理由そのD 「 開発説 」 クマの人里地区への進出理由として、 人が彼ら(クマ)の棲息域へと開発をすすめた結果だ! だから人間が悪い! ということも理由もあげられることがある 個人的には主に環境保護を唱える団体が多用しているコメントという印象を受けるのがこれね。 これはつまり、元々熊ちゃんたちが平穏に暮らしていた森林を、人間さまが開発の名のもとに進出してきて彼らの棲息環境を脅かした。 ひいいては棲息域を強制的に狭められてしまったヒグマ達は、被害者的立場でもうどうしようもなくなり「 人との接近遭遇 」や「 農作物などの被害 」をやらかすようになってしまった。 っというわけで 熊ちゃんは被害者! 開発を担った人間は悪! という図式の考え方に至りましたとさ。 ゆえに開発で人里へと押しだされたあげく,、人との接触トラブルを起こしたからと殺処分にするなんぞ断じて許せない! 人間の横暴を許すな!熊の殺処分反対! (;゜□゜)q SAVE 熊 & ネイチャー! っと発展してしまうのね。 この理由はある意味あっていると小樽のチャキさんも思います。 ただし・・・・ ことエゾヒグマに関する開発行為といえば、それはもう100年近く前の北海道開拓時代のお話だ。 その後も確かに開発行為が拡範された面は否めないし、それによってヒグマの棲息地域が狭められたり地域間での孤立化を生じさせたことも事実だと思う。 とはいえ少なくとも近年の10年〜20年に至っては新たに大規模な森林開発を伴う開発行為などさして行われてはいないですよね。 近年、目覚ましい森林開発を行った覚えがないにも関わらず、人里へのヒグマ侵出が頻発となってくる。 しかもその出没が大胆にも住宅地域へと及んできたという現実もある。 こりゃあ 人間の森林開発によって熊たちが人里がわへと押しやられてきたと理由づけるのはちょっと無理がありそうです。 ちょうど2011年には北海道の政令都市である札幌の都市部近郊へもヒグマ出没が相次いだのは記憶に新しい。 この点を考えても「 開発説 」は合点がゆきづらいことが理解できるはずだ。 今どき札幌の藻岩山〜円山地区周辺の山々に対しての新規大規模開発なんぞやっていないもの。 藻岩山の頂上に新しい展望台施設などを作りなおしていたのは確かだけれど、これだって既存にあった場所へ新築しなおしただけだ。 新規開発ではないからクマの棲息域を新たに犯し相手を住宅街へと押し出したという形にはなっていないはずです。 でも 現実にヒグマが住宅街へと近づいて目撃されたり、酷いときには明らかに住宅街の中へと踏みいってその姿をさらしている。 もう「 森林開発 」なんて事象が絡んでいなくてもヒグマの都市部進出が起こりえると認めるしかない状況がおきました。 っというわけで小樽のチャキさんの結論としては: 随分と以前のお話であるならば森林開発が人里へと熊を押しだした原因だとも言えるかもしれないが、近年の人里への熊出没理由としての「 開発説 」は説得力に乏しい。 これで決まりとしておきます。 皆さんはどう考える? やっぱり人間の森林開発が原因だと考えますか? 人里出没理由そのE 町慣れ、迷いこんだ説 住宅地域に隣接した森であれば近くで人が暮し、車なども走りまわる光景を山の高台から熊も眺めていることになる。 僕らが街といわれる場所から山の手を眺めたとき、そこに森林が見えていたらどう感じるだろうか? 絶対にわけいってはいけない禁断のエリアだなと思っている人はまず居ないことだろう。 若い頃なら俺も登ったんだがなぁ・・・ とか 一度ハイキングがてら登ってみるか・・・ とか色々な意味で機会があれば分け入ってみたいものだくらいに思いを膨らませた経験はないでしょうか? 対象となるその場所が命を落とすほどに危険な場所だとの認識がなければ、近くの山だものいってみようかなと思い立つくことは充分に考えられますよね。 同じように熊だって考えるかもしれません。 ヒグマちゃんにしてみれば山の高台からいつも眼下に見えている場所が我らの住宅街です。 札幌藻岩山から夜景( 画像著作:663highland ) さして人間という生き物に対する恐怖の念もない。 ならば ゚:*:・。.☆.。・:*:゚☆(((( ^▽^)ノ1度あの見えている場所へも行ってみよう☆ っと熊達が思い立つのも頷けない話ではない気がします。 他にも、住宅街をさけ森から川へと出てきてみた。 その後、その川沿いに芝生や雑草の生えた場所を辿るようにして、人の居る場所には近付かないようにと気をつけて川沿いを下ってみる。 結構下ってみた。 そんでもって ひょいっ♪ と川から土手の上へとあがってみたらそこはいつの間にか バリバリの街の中 でした。 おーまい がっと w(◎ー◎;)w 熊ちゃんもびっくり☆☆☆ そんな事情は実際にツキノワグマなどでは起こっているそうです。 河原伝いに熊ちゃんが街の深部まで迷いこむんだって! 札幌藻岩山と豊平川( 著作権利:パブリックドメイン画像 ) 同じ理由でエゾ鹿くらいならば今までにも札幌や小樽の深部住宅街などに突然現れて住民を驚かせたことがある。 熊だけは迷わない? そんなこたぁ〜ないよね(笑 可能性としては充分です。 ひょっとすると既に人里へ現れてしまっているヒグマちゃん達も何かの形で「 迷い熊 」になってしまっただけなのかもしれません。 人里出没理由そのF 認知症説 熊にも人と同じ高齢化による認知症の発症があるのではないか? 人里へのクマ出没の理由として記載されていたものではありませんでしたが、そういう文献もみかけることがありました。 認知機能が落ちたクマちゃんが、今までならば取らなかったはずの行動をとってしまう・・・。 これも人里出没の理由に成りえるかな? これも参考までに考察してみることにしたよ。 「 ヒグマの認知症 」 人間の認知症を基調に話すとすれば、その病状が強くなるにつれて食事面での自力確保も難しいものとなってゆきます。 人間界では介護などの保護的な動きも可能ではりますが、これがもしも野生の動物界においての認知症発病となれば状況は非常に厳しいはずです。 自然界にあっては発病すなわち高い確率でその個体の{ 死 }を意味するのではないかと想像します。 また認知症を発症するほどの高齢なクマであれば、当然成獣個体であり体格もそれがしに大きく成長しきったものであるはず・・・本来は森の奥深い場所での棲息を行っているはずです。 認知機能が低下してしまい経験上からくる正しい判断が出来なくなったからといって、こういった個体がそうそうな事で人里へは到達するものでもないのではなかろうか・・・。 とはいえ認知症のクマはイコール過去の経験から得た正しい熊としての生活方式を忘れてしまった行動をとる熊です。 それが人里へと足を運ばせる原因のひとつとなったとしてもおかしくはありませんよね。 読者の方々はこの「 ヒグマの認知症 」という推察はどう考えましたか? 人里出没理由そのG 本能としての行動説 森の熊さんは野生動物だ。 野生動物として日々の糧となる餌を確保することは大切なお仕事ってことになるのは間違いない。 これは「 生きる 」うえでの本能的お仕事とも言えるはずだ。 ではその本能的行動である「 餌の確保 」の容易さを増すにはどうしたらよいでしょうか。 これには餌場として巡回することが出来る場所をいくつも持っていることが有利に働くのは誰も異論がないよね。 丁度 キノコ狩りへ出向く人達がいつも沢山のキノコが生えている場所を覚えておいて、毎年その場所へは必ず足を運ぶという光景を思い浮かべてくれると判りやすいはずだ。 「 餌にありつき易い場所をいくつも持っている 」 これを言いかえれば即ち『 縄張り的に使うことが出来るフィールドが広いほうが有利 』ということになるはずです。 つまりヒグマちゃん達は餌を得るために毎日餌を探しまわるほか、餌場として使うことができるフィールドの探索&拡充行為が重要になるってことだよ。 昨日まで踏み入ったことがないエリアへと出向き、新たに使うことが出来る餌場をみつけられないだろうかと探索する。 もっと簡単に言えば、 今まで行ったことがない場所へ行って餌を探してみよう♪ d(^▽^*) ってこと。
昨年まで探索済みであり、熊ちゃんの学習として「 行ってみて大丈夫だった範囲 」というのは翌年へも継承されてしまう可能性がある。 それどころか本能では「 さらなる拡充 」を欲するわけですから進出範囲は前年度よりもさらに住宅街の深部へと延びてくるかもしれません。 もしくは範囲の拡充がなくとも出没頻度が増す可能性は残ります。 どちらにしても熊ちゃん達が本能の赴くままに住宅街へとその勢力分布図を拡大し続けるのは困りものだ。 願うことなれば、そのGで掲げた出没理由は検討違いであって欲しいものですね。 以上 その@〜Gまでがざっとあげたヒグマちゃん達の人里への進出の理由です その理由を説明する分の多くの末尾をあえて「 あなたはどう思った? 」的な表現で終えてあるのには理由があるよ。 結局のところ「 誰も本当の理由は知らない 」ってことを伝えたかったんだ。 どこまでいってもその理由には「 たぶん 」とか「 おそらく 」とかいった枕言葉がつくってことを忘れないでおいてねん♪ あいらぶヒグマ(羆)ちゃんトップページへ戻る > 項目一覧へ戻る |
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